問題障害と自分との関係性
親愛なる皆様
おはようございます。
誰しもが常に問題障害を抱え、大なり小なり悩み苦しんでいる。
悩み苦しみまでいかずとも、何かモヤモヤしていたり。
以前(若い頃)は、問題障害に直面すると、解決やクリアしていく方法を考えることが常だったが、
このところは、方法もさることながら、その問題障害との向き合い方、捉え方を思考するようになっている。
自分にとって都合の悪い“人や事”の出現によって、問題障害は生じます。
それによって釈然としなかったり、腹が立ったり、悲しかったり、辛かったり・・・
「そんなバカな」「こんなはずじゃなかった」と、人は悩み苦しみます。
そんな時、「コイツはムリ」とか「コレはムリ」と、出現した“人や事”に対して
「何とかならんのか?」もしくは「何ともならん!」と、
問題障害の原因の100%がその“人や事”にあるかの如く捉えてしまう人がけっこう多い、
否、殆どがそうかもしれない。
問題障害の原因や責任は他者にありとすると、自分には原因が無く責任が軽くなり、
楽になるような気がするが、実はそうではない、それは誤解で、楽になるどころか、
それではモヤモヤや悩み苦しみは一向に解消しない。
その場は解消したかに思うこともあるが、繰り返す。
そもそも悩み苦しみとは、理想と現実のギャップ、または、自分の力量を超えるような問題が生じた時に生じる。
その時に、理想を現実に近づけることや、問題の大きさを自分の力量に合わせることを望んだところで、
理想の方からこちらへ歩み取ってくれることもなければ、
問題の方が自分の力量まで大きさを縮小してくれることもない。
問題障害を解決する方法はただ一つ、力をつける以外にない。
現実を理想に近づける力、問題を解決できる力に他ならない。
そして、その力とは、馬力とか腕力といったいわゆる手力的なチカラではなく、
どちらかというとその逆で柔らかさ、しなやかさといったチカラ。
だから、イメージとして、問題障害が生じた時の自分の在り方は、歯を食いしばって辛抱して踏ん張る頑張る
というよりも、その問題障害と自分との関係性を冷静にじっくり観察すること。そんなイメージです。
(ちなみに、辛抱する踏ん張る頑張るも時に重要なことであります)
相手がこちらの都合に合わせてくれることのみを望むのではなく、こちらが、
その相手と向き合ってもしっかり対峙できるパワーをつけること。
すると、やがて、その問題障害の本質は自分の内的要因であることが観えてきます。
そこが観えてくると、現象的にはその問題障害は何ら変わりなく自分の前に生じているにも関わらず、
その問題障害の見え方、向き合い方、対処の仕方がこれまでとは全く違ったものになってきます。
問題障害と自分との新たな関係性が生まれてくるといった感覚です。
今日も一日良い日に致します。
物流応援団長(兼)応援され団長
山田泰壮(やすお) 拝